宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国と日本』
はじめに――なぜ今満洲か日本が大東亜戦争に敗れ、台湾や朝鮮半島や満洲や樺太や南洋諸島などの外地をすべて失って日本列島に引き揚げてから六十五年が過ぎた。日教組が主導した戦後の歴史教育では、日本列島の外に出て行った日本人は、たとえ本人にその自覚がなくても、全員が悪いことをしたんだと教える。しかし、中国人や朝鮮人は全員いい人で正しいことをしたのに、日本人がした事は全部悪かったなんて、ちょっと考えれば変だとわかりそうなものではないか。ところが、日教組教育が浸透してしまった今では、若い日本人は、中国や韓国には悪いことばかりしたと本気で思っている。このままだと、年を経るごとにますます嘘の歴史に書き換えられ、史実から遠ざかるばかりであることを憂慮して、本書を書いた。
日本人に自虐史観のマインドコントロールをかけたのは、ソ連共産党が結成したコミンテルンの工作にもとづく左翼思想を信奉した人々であるが、日本に原爆を二発も落としたアメリカにとっても、「日本列島以外の土地に領土拡大したことが身の程知らずの悪だった。だから戦争に負けて、原爆を落とされたのも罰が当たったんだ」と日本人が考えてくれるのはたいへん都合がよかった。さらに日本の敗戦後に成立した中華人民共和国も韓国も北朝鮮も、日本人の内省的かつ自虐的な史観のお蔭で、自国のあらゆる矛盾を日本人のせいにすることができ、しかも日本から莫大な援助を取り続けることができる。
このような内憂外患の状態をどのようにすれば打破できるか、簡単ではないが、少なくとも史実を正確に述べておけば、かならず将来の日本の役に立つと考えた。
日本人がしたことすべてが悪だったなどという善悪二元論は、歴史の名に値しない。
歴史は、個人や国家の行動が、道徳的に正義だったか罪悪だったかを判断する場ではない。現代の国家にとって良かったか悪かったかを判断する場でもない。歴史に道徳的価値判断を介入させてはいけない。歴史は法廷ではないのである。
ところが、古来、中国文明には、私たちが考えるような歴史はなかった。
中国に「春秋の筆法」ということばがある。孔子が紀元前四八○年頃に編纂したことになっている『春秋』は、まだ中国が統一されるまえの列国で起こった、天災や戦争や会盟や君主の生涯などを、二四二年間にわたって編年体で述べた書物である。後世にこれを伝えた、『春秋三傳』と呼ばれる『左氏傳』『公羊傳』『穀梁傳』は、『春秋』が伝えた種々の事蹟について、それぞれ解説をつけて、その善悪を厳しく批判した。それで、孔子がそういうふうに書いたわけではないのだけれど、「孔子が春秋を作ったので、乱臣や賊がこれを懼れた」と孟子がいい、「春秋の筆法」とは、誰が極悪人か、それとも尊王かを、後世の人間が厳しく査定するという意味になった。善悪は自ずから歴史が証明するというが、これはまったくの結果論である。
中国は、最初の歴史書である司馬遷著『史記』以来、天命によって現王朝が天下を統治する正統の権利を得たことを証明するために「正史」を編纂してきた。だから、中華人民共和国が正統の国家であることを証明するためには、いま現在その国土である満洲に、かつて日本人が建てた満洲帝国があったことを認めるわけにはいかないし、台湾にある中華民国の存在を認めるわけにもいかないのである。
それは中国の政治的言い分であって、史実からはほど遠いのだが、中国文明の影響を受けた日本人のなかには、歴史と政治を同一視する人もいる。韓国人は日本人よりもさらに中国的な思想を持ち、負けたからには悪であると思うのである。
そのような「勝てば官軍」の考え方は本当の意味の歴史ではないし、現代中国や韓国の主張に対して私自身が言いたいことも種々あるけれども、本書はあくまで、誰が読んでもなるほどと思える歴史の流れを叙述することを心がけたので、物足りないと思わないでほしい。左翼の人たちにも、事実関係を確認するために読んでもらいたいと思うからである。
私の考えを少しだけ言うと、もし日本に非があるとすれば、日本人が大陸の文化や歴史をあまりに知らなかったために対処を誤ったことだと思う。今では戦前よりもさらに中国や朝鮮を知らない日本人ばかりになったので、今後ますます対応の失敗が増えるだろうと思うと空恐ろしい。それで本書では、日本列島と朝鮮半島と中国大陸の関係を、歴史のはじまりから述べた。そのため少し難しくなったことは反省している。
いずれこの倍くらいの分量で、もっとわかりやすい説明をつけた歴史を書きたいと思うが、とりあえず、何があったか、どうしてこういうことになったかだけは、日本人の共通理解になってほしいと考えるものである。