宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国と日本』
おわりに
二○○六年三月、本書のもとである『世界史のなかの満洲帝国』をPHP新書から刊行した直後、見知らぬ人から長文の手紙が届いた。内容を要約して紹介する。
「突然お手紙を差し上げることをお許し下さい。先生の著作を感慨深く読ませていただきました。感謝の意をこめていささかの感想を申し上げるべく筆を執りました。
私は昭和二年に満洲の奉天に生まれ、昭和十九年三月に熊本の第五高等学校に入学したとき初めて内地にやってきました。もう太平洋戦争は始まっていましたが、私が奉天を出るときは満洲の地は「王道楽土」であり、日本人には大変住みやすいところでした。五高在学中に終戦となりましたが、幸い私は学業を続け、昭和二十二年に京都大学工学部に入学しました。熊本や京都の学生生活で内地の人々の習慣や行動に戸惑うことがしばしばありました。今思うと、私のセンス自体が内地の人たちとはかなり違っていたようですが、先生の著作を読み、満洲の歴史や風土がそこに住む人間の感性に影響を与えていたのではないかと思った次第です。
一九六○年初めてアメリカに招待されたとき、「満洲とアメリカはなんと似ているのだろうか」と思いました。飛行機から見える大平原は満洲そのものでした。機関車のデザインも満鉄自慢のアジア号と似ており、流線型のデザインはアメリカのコピーだったと知ってがっかりしました。満洲の鉄道付属地の住宅街もアメリカの都市計画を参照して作られたと聞いていますが、アメリカの町に違和感を感じることはありませんでした。
私は今までアメリカには五十回以上、ヨーロッパには三十回以上行っていますが、大陸で育った身には外国のほうが性に合っていると思うときがあります。私は子供のときには軍国主義による教育にマインドコントロールされ、戦後は自虐史観の考えが蔓延した世の中で生きてきました。自分が生まれた満洲の歴史は満洲の学校ではほとんど学ぶ機会はありませんでした。先生の著書には満洲の歴史が淡々と書かれていて、私が生まれ育った故郷の事情がよくわかりました。私は今人生の最後のコーナーを回ったところですが、生まれ育ったところの歴史を知ったことは大変有意義でした。一言感謝を申し上げたく、読書感想をしたためました。」
こういう日本人が、戦後の日本の繁栄を築いたのだ。ところが、戦前の教育を受けた世代が社会の第一線から退場したあとの昨今の日本人の劣化は、誰もが認めるところである。つまり、戦後の日教組教育は大失敗だったわけだ。日本人の倫理道徳観念の喪失も問題だが、日教組教育の最大の弊害は、日本の近現代史における自虐史観である。
私が卒業した京都大学文学部東洋史でも、満洲やモンゴルの研究は時代遅れとされ、「満鮮」や「満蒙」ということば自体が、日本の中国侵略をあおったという理由で忌避(きひ)された。私の恩師のチベット学者、佐藤長先生から本の礼状を頂戴して、先生が満洲育ちだったことを私ははじめて知った。
「満洲の歴史は古いものはありますが、溥儀皇帝の満洲を中心に書かれたものはなく残念に思っておりました。というのも小生はやはり満洲育ちで、時間的には戦後の宮城県の田舎暮らしが長いのですが、満洲を故郷として思うこと多く、ほんとうに懐かしい満洲です。有難いご本です。今晩も遼陽の白塔、旅順の要塞、撫順千金寨の露天掘等夢見て過ごしましょう。長い間中国やその周辺のことを検べて暮らしてきましたが、そんな生活ができたのも、少年期にあの無数の貧困な人々の群れを見てきたからのようです。」
佐藤先生は終戦まで北京に留学しており、ここで新婚生活を過ごしていた瀬戸内寂聴さんと親交があったことは学生時代に聞かされていたが、東洋史学者ですら、戦後は満洲関係者であることを公にすることは憚られたのだ。先生は二○○八年に九十四歳で亡くなられたが、最後に孝行できて良かったと思う。
日本の敗戦後、外地から現在の日本国領土である内地に引き揚げてきた日本人は、六百六十万人にのぼった。異文化を肌で知った新しい日本人がこんなにたくさん誕生していたからこそ、世界中が目を見張るような日本の戦後復興が成し遂げられたのではないか。
私は二○○五年から、国士舘大学21世紀アジア学部で、留学生を含む新入生にアジア史を講義している。一学年の四分の一を占める留学生の大多数は中国人で、あとは韓国、ロシア、カザフスタン、キルギス、トルコ、ネパール、タイ、ミャンマー等々アジア各国出身である。私の夫の岡田英弘著『歴史とはなにか』の内容から始めて、同『世界史の誕生』『中国文明の歴史』を概説し、最後に、日本列島と朝鮮半島と中国大陸の関係を、本書を使って講義する。これら四冊のうちのどれかを読了して、レポート提出をさせる。
どの本も大学生には難解であることは承知の上だが、世の中には、自分に理解できないことがたくさんある、とわからせることも教育だと考えている。中国人も熱心に読んでレポートを書く。はじめて知ったことが多かったと言われるとひじょうに嬉しい。
今回、あらたにワックブンコとして本書を刊行する手助けをしてくれた松本道明さんと、実際に編集の任にあたってくれた小森明子さんに、心よりの謝意を表する。
二○一○年十月一日