岡田英弘 著書補遺


岡田 英弘 著
妻も敵なり
中国人の本能と情念

236頁
定価 本体1600円+税

1997年10月1日


クレスト社

まえがき

 私の母方の祖父・二宮五十槻は、日露戦争に陸軍工兵第十二大隊長として出征、明治三十八年(一九〇五年)三月十日の未明、奉天(瀋陽)東方の撫順城外で戦死した。この祖父以外に、私の一族で大陸に関係を持った者は一人もいない。
 私自身は昭和六年(一九三一年)、満洲事変の年に生まれ、昭和十二年(一九三七年)、支那事変勃発の年に小学校に入った。我が家の茶の間の壁には大きな中国の地図が貼ってあり、日本軍が占領した町々に小さな日章旗をピンで立てるのが楽しみで、おかげで中国の地名はほとんど暗記した。しかし大東亜戦争が昭和二十年(一九四五年)に終わったとき、私はまだ十四歳の中学生だったから、もちろん大陸に出かける機会もなかったし、中国人と知り合う機会もなかった。
 私が十九歳で旧制東京大学の文学部東洋史学科に入ったのは昭和二十五年(一九五〇年)四月で、翌々月には朝鮮戦争が始まった。そんな時代だから、やはり現実の中国とは縁がなかった。
 はじめて中国人とつき合いができたのは、二十八歳で留学したアメリカでのことだった。留学先のシアトルのワシントン大学には、言語学の李方桂、政治史の蕭公権をはじめとして、優れた中国人学者が多く、この方々からいろいろ貴重な教えを受けた。ことに私が恵まれていたのは、英語で中国人とつき合えたことである。中国語とちがって、英語では本当のことしか言えない。おかげで書物にある建前の中国ではなく、本音の中国がどんなものかに目が開かれた。
 昭和三十七年(一九六二年)から台湾を頻繁に訪れるようになったことも、私に幸いした。当時の台湾では、大陸から来た中国人が、日本文化を受けた台湾人を支配していたが、私はその両方と親交ができ、ますます中国人の人間関係、行動原理の理解を深めた。
 われわれ日本人は、古くから漢籍を通じて、中国に漠然たる親近感をいだいてきたが、実際には十九世紀まで、現実の中国と接触する機会はほとんどなかった。そのため中国と中国人について、何も知らないと言っていい。こんなことでは、政治、軍事、経済、文化のどの面でも、日中関係、米中関係の判断を誤るおそれがある。そういう気持ちで、私が見た中国像のいろいろな面を、本書で語ることにした。
 ここに世に送る『妻も敵なり』は、私が東京・駒込の私設研究室で、平成八年(一九九六年)八月二十九・三十の両日にわたって口述した内容に基づき、フォトライターの二村高史氏が、私の他の著作を参照しつつ、編輯して成ったものである。そうした本書の成立の事情から、私のいつもの文体や用語とは多少ちがうところがあるが、私の中国観、歴史観をわかりやすく紹介するという目的は、十分に達していると思う。終わりに、本書の誕生に尽力されたクレスト社の佐藤真、松川えみ両氏に、深甚なる感謝の意を捧げるものである。
                                   
   平成九年(一九九七年)七月三十一日
岡 田 英 弘