『台湾の命運』あとがき

 私が小学校のころ、家に童謡のレコードがあった。二枚組のアルバムだったから、四曲入っていたはずだが、そのうち二曲だけ、まだ覚えている。どちらも女の子が歌っていた。一曲目はは、
  パパイヤさん パパイヤさん 青いお顔の パパイヤさん
  ずいぶんお背いが 高いのね どうしてそんなに 青い顔 青い顔
  パパイヤさん パパイヤさん 黄色いお顔の パパイヤさん
  きれいなお顔に なったわね けれどもやっぱり のっぽさん のっぽさん
というのだった。もう一曲は、ちゃんと覚えているのは一番だけだ。
  ドンドン ジャカジャカ ブウブウブウ 
  ドンドン ジャカジャカ ブウブウブウ
さっさお祭り 出て見よう
  山車に乗ったは お姫さま
  お馬打たせた お稚児たち
  かざしひらひら 手綱しゃんしゃん 通ります
  ドンドン ジャカジャカ ブウブウブウ 
  ドンドン ジャカジャカ ブウブウブウ
  行列まだまだ 続きます
二番には、「真っ黒々の 范将軍 お舌べろべろ お首振り振り 通ります」という文句があったと覚えている。
 私は子ども心に、青い顔、黄色い顔ののっぽのパパイヤさんとは、いったい誰だろうと不思議に思ったし、真っ黒々の范将軍に至っては、ますます想像がつかなかった。いま考えると、どれも台湾の風物を歌っていたことが思い当たる。
 私の父岡田正弘は、東京帝国大学医学部を卒業してすぐ、創立されたばかりの東京高等歯科医学校(東京医科歯科大学の前身)の教授に就任して薬理学を教えた人で、岡田教室の第一回卒業生には、台湾出身の廖春木さんがいた。廖さんは中央線武蔵境の駅前に、阿敏夫人と共同で医院を開業しておられたが、父を慕って、よくお土産を持って来訪された。あの不思議なレコードは、廖さんからの贈り物だったかも知れない。
 三十一歳になって、はじめて台湾を訪れて、よく熟れたパパイヤの甘さを味わい、台湾語でパパイヤを「ボッコエ」(木瓜)ということを知ったし、廟会のお祭りを見物して、耳をつんざく爆竹の音、それにも負けない騒々しい楽隊の演奏、雲突くような大男の人形の神々の行進に接して、やっと、あの不思議な童謡は写実だったんだなあ、と納得したものである。
 台湾はほんとうに「イリャ・フォルモサ」(ポルトガル語で「美しい島」)だ。あの美しい島のなつかしい人々が中国の脅威から解放されて、幸せな日々をこれからも楽しめることを願って、私の台湾論集をここに読者各位に捧げる。
            
  一九九六年十月

岡 田 英 弘