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モンゴル、世界史関係 |
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中国関係 |
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日本関係、その他 |
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モンゴル、世界史関係 |
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「[講演] 世界史の誕生 『モンゴル帝国から大清帝国へ』を刊行して」『環』45、256-265頁、藤原書店、2011年4月30日 |
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「特別インタビュー Q&A 帝国誕生への道」『歴史通』3月号、44-54頁、ワック出版、2010年3月9日 |
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「<インタビュー>清朝とは何か」(聞き手)藤原良雄 『清朝とは何か』別冊『環』16、7-37頁、藤原書店、2009年5月30日 |
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「清朝とは何か(下)―大清帝国の誕生―」『機』No.207、8-10頁、藤原書店、2009年5月15日(インタビュー) |
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「清朝とは何か(上)―清朝は中国ではない―」『機』No.206、12-15頁、藤原書店、2009年4月15日(インタビュー) |
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「共産中国はいつ崩壊しても不思議ではない:中国13億人の未来 第4回 新中華帝国は海と宇宙とネットを支配する 中国が向かう3つのシナリオ」『ザ・リバティ』159 2008年6月 18-20頁 (発言記録) |
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「共産党vs.キリスト教の権力闘争:中国13億人の未来 第2回 キリスト教 地下教会を行く」『ザ・リバティ』156 2008年3月 107頁 (発言記録) |
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岡田英弘・宮脇淳子対談「モンゴルとは何か?」(『刀水』No.7、2003年8月31日発行) |
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「Delkhiin Tuukh Mongoloos Ekhtei(世界史はモンゴルから始まった)」 モンゴル国日刊紙『Onoodor(ウヌードゥル)/Today』1、8頁、2002年8月8日 (インタビュー記事) |
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「私の生き方 「よい歴史」と悪い「歴史」―世界史の統一的叙述をめざして」 『公研』 39-7、38-52頁 2001年7月8日 |
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「著者に聞く 『歴史とはなにか』」 『週刊エコノミスト』 毎日新聞社 5/22号 98-99頁 2001年5月14日 |
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『現代「文明」の研究 普遍的価値の絆を求めて』(日本経済調査協議会 鈴木治雄編) 122-156、415-444頁、その他討論参加、朝日ソノラマ、1999年4月30日 |
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「歴史の起源」 『対話 起源論』(新書館)57-114頁 1998年7月20日 (岸田秀との対談、「官僚病の世界史」の再録) |
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『歴史とは何か』 (株)エグゼクティブ・アカデミー、1-39頁 1997年8月25日 |
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「官僚病の世界史」 『大航海』(新書館)16、48-68頁 1997年6月5日 (岸田秀との対談) |
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「モンゴル人の歴史―いまのモンゴルはどうして出来たか―(講演要旨)」 『日本とモンゴル』((社)日本モンゴル協会)第31巻第2号、74頁 1997年3月25日 (1996年9月13日の講演要旨)
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「世界へ、自己を拓く 常磐大学国際学入門公開授業より9 「モンゴル」に没入 自分を知るために」 『茨城新聞』(茨城新聞社)36507、16面 1996年6月23日 |
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『良い歴史、悪い歴史―歴史をどう教えるか』 国際関係基礎研究所、1-31頁 1996年3月5日 |
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「良い歴史、悪い歴史―歴史をどう教えるか―」 『アカデミー月報』113、6-7頁 1996年2月 (国際関係基礎研究所朝食会講演要約) |
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「モンゴルが世界史をつくった」 『大航海』(新書館)3、82-101頁 (インタビュー) |
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『ベルリンとウランバートルから中央ユーラシアを見る』 エグゼクティブ・アカデミー、1-34頁 1994年11月25日 |
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「ベルリンとウランバートルから中央ユーラシアを見る」 『アカデミー月報』(国際関係基礎研究所)98、10-11頁 1994年10月 (講演要旨) |
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「遊牧民の古代史」 『東アジアの古代文化ニュース』(東アジアの古代文化を考える会)22-4/5、3頁 1994年5月1日 |
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「TOKYO十字路(東京クロスロード) モンゴル正史を書く宮脇淳子さん 草原の「大帝国」消えた歴史追う」 『東京新聞(夕刊)』(中日新聞東京本社)第18565号、1面 1994年4月12日 (談話) |
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「世界史の誕生」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』77、51-53頁 1993年3月25日 (講演要旨) |
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「世界史はモンゴルの賜 「歴史」の本」 『この本がいい 対談による「知」のブックガイド』(三浦雅士編、講談社)67ー94頁 1993年3月20日 (三浦雅士との対談、再録) |
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「対談によるブックガイド 『歴史』の本〈上〉」 『本』17巻10号、講談社、8-13頁 1992年10月1日 (三浦雅士との対談)
「対談によるブックガイド 『歴史』の本〈下〉」 『本』17巻11号、講談社、32-38頁 1992年11月1日 (三浦雅士との対談) |
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「『遊牧の道』を行く3 二つの影 見失われた伝統と文化」 『朝日新聞夕刊』1992年10月5日、4版、8頁 1992年10月5日 (談話) |
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『民族の世界史 IV』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-43頁 1991年7月31日 (講演筆記) |
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『民族の世界史 III』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-39頁 1991年4月15日 (講演筆記) |
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「中央ユーラシア史の可能性」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』71、53-58頁 1991年3月25日 (講演要旨) |
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『民族の世界史 II』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-44頁 1991年2月15日 (講演筆記)
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『民族の世界史 I』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-39頁 1990年11月2日 (講演筆記) |
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『ソ連の民族問題』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-43頁 1990年7月11日 (講演筆記)
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『ソ連の民族問題』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-43頁 1990年7月11日 (講演筆記)
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「ユーラシア大陸の歴史と民族――草原の民が「世界史」を創る――」 『文化会議』253、20-37頁 1990年7月1日 (講演筆記) |
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『中央アジアを考える――歴史と現実――』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、新井経済研究所、1ー31頁 1987年9月18日 (講演筆記) |
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『蒙古自治運動と日中関係』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、新井経済研究所、1-41頁 1986年1月14日 (講演筆記) |
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「モンゴル史料について」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』49、43ー45頁 1983年11月25日 (講演要旨) |
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「康煕帝とガルダン」東洋文庫談話会要旨(昭和53年4月22日) 『東洋文庫書報』10号、105-106頁 1978年 (講演要旨) |
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『ロシアとは何か――その歴史から学ぶ――』 日本文化会議月例懇談会収録集101、1-22頁 1977年10月 |
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「チンギス・ハーン崇拝とモンゴル文学」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』14、35頁 1971年12月20日 (講演要旨) |
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「カルムィク文学『ウバシ・ホンタイジ伝』について」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』4、19-20頁 1968年3月30日 (講演要旨) |
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中国関係 |
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「<インタビュー>清朝とは何か」(聞き手)藤原良雄 『清朝とは何か』別冊『環』16、7-37頁、藤原書店、2009年5月30日 |
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「清朝とは何か(下)―大清帝国の誕生―」『機』No.207、8-10頁、藤原書店、2009年5月15日(インタビュー) |
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「清朝とは何か(上)―清朝は中国ではない―」『機』No.206、12-15頁、藤原書店、2009年4月15日(インタビュー) |
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「中国人とは何か? 伝統思想から見る現代中国シリーズ<第1回>」 『クォータリー』No.20、2006. SUMMER、読売新聞調査研究本部、20-39頁 2006年6月27日 (講演記録) |
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「醜い「中華帝国」の素顔 「人権」もなければ「礼節」もなし」『諸君!』2002年7月号、50-62頁 (田久保忠衛、金美齢、中島嶺雄との座談会) |
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「「経営者の意識を変えろ」中国に対する大いなる勘違いとは?」 『ビジネススタンダード』2002年4月号、100-101頁、ソフトバンクパブリッシング(株)、2002年4月1日 |
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「中国の歴史をどう考えるか」 『東アジアの古代文化ニュース』(東アジアの古代文化を考える会―江上派)310、1-2頁 1999年4月1日 (講演要旨) |
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「歴史的にみて中国とは何か」 『(社)日本経済調査協議会調査報告98-6 文明の対立と融合』424-448頁 1999年3月5日 |
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「巻頭インタビュー 二十一世紀最大の問題は「中国」」 『選択』(選択出版株式会社)25巻3号、3頁 1999年3月1日 |
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「世紀末 経済・文明史から探る日本再生 第5部 中国とどう付き合うか 中国経済の立て直し容易でない 行き詰まれば予想もしないことも」 『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)臨時増刊12/28日号158-163頁 1998年12月28日 |
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「著者インタビュー 岡田英弘さん『妻も敵なり 中国人の本能と情念』」 『This is 読売』1998年3月号、328-331頁 1998年3月1日
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「日本は中国といかに付き合うべきか」 『明日への選択』(日本政策研究センター)No.142、4-8頁 1997年11月1日 (巻頭インタビュー) |
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『中国人の法則』 (株)エグゼクティブ・アカデミー、1-37頁 1997年3月7日
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「中国人が倭国をつくった! 「倭国の時代」と古代東アジア世界」 『逆転の日本史 古代史編』(洋泉社)26-64頁 1996年11月16日 |
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「質疑応答」 『台湾をめぐる米中関係―米中関係の歴史と展望―』 入江昭、国際関係基礎研究所、23ー25頁 1996年7月16日 |
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『下関条約百年を振り返って――台湾の命運――』 エグゼクティブ・アカデミー、1-33頁 1995年7月6日
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『台湾人は中国人か』 国際関係基礎研究所、1-27頁 1994年3月16日 |
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「特集 朝日新聞社版では削除された中国文化大革命の地獄の人喰い」 『週刊新潮』第38巻第39号、140-144頁 1993年10月14日 (談話) |
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『中国情勢と台湾の役割』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-38頁 1993年8月5日 (講演筆記) |
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「楊国家主席兄弟の『失権』 NHKニュースの『行方』」 『週刊新潮』37巻49号(12月24・31日号)、新潮社、51-54頁 1992年12月24日 (談話) |
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『世界史からみた現代東アジア』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1-42頁 1992年4月9日 (講演筆記) |
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「中国文明の構造と発展」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』70、39-40頁 1990年11月25日 (講演要旨) |
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『二十一世紀の中国と日本――激動する世界史の中で新しい日中関係を求める――』 国際関係基礎研究所、1-36頁 1990年4月5日 (講演筆記)
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『台湾の歴史と将来――民族問題を中心として――』 国際関係基礎研究所、1-35頁 1989年11月13日 (講演筆記)
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『中国史から見た民族問題』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、国際関係基礎研究所、1ー37頁 1988年5月26日 (講演筆記) |
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『満洲民族はいかに中国を創ったか』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、新井経済研究所、1-37頁 1986年5月28日 (講演筆記) |
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「中ソ特権階級の栄耀栄華」 『諸君!』(文藝春秋)15-8、214-232頁 1983年8月1日 (対談) |
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「日米を操る隣国の外交政策」 『文化会議』167、26-34頁 1983年5月1日 (講演筆記) |
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「紙上講座 中国人の特質を探る」 『松下政経塾報』11、1982年11月 (講演要旨) |
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「軍がケ批判に利用 奇怪な中国の教科書攻撃」 『思想新聞』(国際勝共連合)528、3頁 1982年10月11日 (談話) |
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「中国党大会の”寝たきり”幹部は葉剣英」 『週刊文春』24-36 1982年9月16日 (談話) |
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「周遠廉『清朝の皇族――睿王府の盛衰をめぐって――』」 『学術国際交流資料集No.80 明治大学学術国際交流委員会第76回スタッフセミナー』 1982年6月22日 (質問) |
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「世界中を味方につけた『江青・張春橋』が復活する日」 『週刊現代』(講談社) 1981年2月12日 (談話) |
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「ケ体制揺るがす経済危機と食糧不足」 『日刊ゲンダイ』(講談社)1540、2頁 1980年12月20日 (談話) |
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「『人民日報』日本総代理店主になった元朝日・秋岡家栄”文革礼賛記者”」 『週刊文春』22-44、1980年10月30日 (談話) |
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「ソ連の野望(ハラショー) 中国の没法子(メイファーズ)」 『諸君!』12-6、70-81頁 1980年6月1日 (対談) |
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「ソ連世界戦略の筋書き通り!中国・ベトナム戦争の読み方」 『週刊文春』21-9、152-155頁 1979年3月1日 (談話) |
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「米中国交樹立で予想される専門家が見た国際的大激変と日本のショック」 『日刊ゲンダイ』(講談社)941 1978年12月19日 (談話) |
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「スターリンも死後批判されたが毛沢東も必至の運命」 『日刊ゲンダイ』(講談社)919、1-2頁 1978年11月22日 (談話)
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『中国古典思想と現代』 日本文化会議月例懇談会収録集94、1-22頁 1977年4月 (討論)
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「孔子批判」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』22、2頁 1974年10月1日 (6月19日講演要旨)
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「日台破局で中国もガッカリという大平外交の失敗」 『週刊文春』16-19、30-33頁 1974年5月13日 (談話) |
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「『周総理と宮本委員長が握手する日』を徹底追及!」 『週刊大衆』(双葉社)16-15、22-25頁 1973年4月19日 (談話) |
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「その後の中国情勢」 『言論人』(言論人懇話会)195、2-3頁 1973年4月15日 (対談) |
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「日中国交の実体はどう動く」 『新聞通信調査会報』(新聞通信調査会)120、1-7頁 1972年12月1日 (座談会) |
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「毛沢東以後の中国」 『講演資料』(公共企業体等労働問題研究センター)25、1-35頁 1972年10月15日 (8月25日講演筆記)
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「『人民日報』の読み方教えます」 『文藝春秋』50-9、146-156頁 1972年7月1日 (座談会) |
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「林彪”失脚”がささやかれる中国に何が起きた」 『週刊現代』(講談社)13-54、172-175頁 1971年12月2日 (談話) |
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「周恩来――その実像と虚像」 『諸君!』3-10、142-151頁 1971年10月1日 (座談会) |
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「皇帝・内務府・八旗」 『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』5、35-36頁 1968年9月5日 (講演要旨) |
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日本関係、その他 |
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「特別インタビュー Q&A 帝国誕生への道」『歴史通』3月号、44-54頁、ワック出版、2010年3月9日 |
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「新しい歴史教科書をつくる会第三回シンポジウム完全収録 古代史最前線からの眺望 <フリートーキング>古代史をめぐる論争点」 『正論』1998年5月号、319-333頁 1998年5月1日 |
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「新しい歴史教科書をつくる会第三回シンポジウム完全収録 古代史最前線からの眺望 <報告その2>人々に共有される歴史とは何か」 『正論』1998年5月号、296-304頁 1998年5月1日 |
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「グラハム・ハンコック著『神々の指紋』 推論ばかりで何も立証せず」 『朝日新聞』12版19面 1996年10月12日 |
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「自分を知るために」 『国際学入門』(常磐大学国際学部)50-53頁 1996年9月30日 (『茨城新聞』より再録) |
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「世界へ、自己を拓く 常磐大学国際学入門公開授業より9 「モンゴル」に没入 自分を知るために」 『茨城新聞』(茨城新聞社)36507、16面 1996年6月23日 |
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「日本創建の基本性格。今後への提言」 『TAKEYAMA REPORT』(武山事務所)770. 1995年11月6日 |
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「この人に聞く 岡田英弘」 『Securitarian』(防衛弘済会)438、57-59頁 1995年6月10日 |
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「質問」 『日米関係の現状と展望』(北岡伸一、国際関係基礎研究所)26-27頁 1995年5月2日 |
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「日本再考 国民・国家・民族というカテゴリーを単純に使わず、これからの日本・世界をどう考えるか」 『図書新聞』2228号、1-3面 1995年1月1日 (川勝平太との対談) |
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「質問」 『西洋の資本主義と東洋の資本主義』(川勝平太、国際関係基礎研究所)36-38頁 1994年5月13日 |
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「東アジアの中の倭国」 『東アジアの古代文化ニュース』(東アジアの古代文化を考える会)22-4/5、4頁 1994年3月1日 |
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「質問」 『五五年体制の崩壊とその後』(北岡伸一、国際関係基礎研究所)30-32頁 1993年12月9日 |
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「アメリカの「正義」と「狂気」 問題提起 「自由」と「民主主義」を旗印に暴走する危険はないか」 『Sapio』第5巻第3号、小学館、10-13頁 1993年2月25日 (談話要約) |
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「ハイテクで探る日本人のルーツ3 大戦争を収めた卑弥呼のセクシーな魅力」 『週刊朝日』96-4、132-135 1991年2月1日 (談話) |
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"Why Japanese use Chinese characters." The SIETAR Newsletter, Winter 1990, pp.11, 9. 1990年 (講演要旨) |
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「上垣外憲一 雨森芳洲と新井白石」 『文化会議』252、12-20頁 1990年6月1日 (質問)
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「日本文化会議年次集会シンポジウム『昭和史の検証 内と外からの視点』」 『文化会議』247、34-35頁 1990年1月1日 (質問) |
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『日本人単一民族論の再検討――特に東北アジアの歴史の中で――』 エグゼクティブ・アカデミー・シリーズ、新井経済研究所、1-32頁 1987年2月16日 (講演筆記) |
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「文化の表現としての外交」 『成熟社会への条件』(日本文化会議編、三修社)83-102頁 1983年12月15日 (講演筆記) |
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「偏向報道はなぜ生まれるのか」 『月曜評論』664 1983年10月17日 (対談) |
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「日本のプレゼンス」 『日本人の条件――適応力』(日本文化会議編、三修社)123-146頁 1983年8月15日 (講演筆記) |
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「東アジアにおける日本人のイメージ」 『国際誤解と日本人』(日本文化会議編、三修社)77-99頁 1983年6月15日 (講演筆記) |
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「『倭人伝』をどう読むか」 『倭人伝を読む』(森浩一編、中央公論社、中公新書665)3-63頁 1982年10月25日 (森浩一との対談) |
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「魏志倭人伝はこう読むべきだ」 『歴史と人物』(中央公論社)138、72-89頁 1982年10月1日 (対談) |
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「丹沢一延のインタビュールーム」 『商工ジャーナル』(日本商工経済研究所)8-10、28-31頁 1982年9月20日 (対談) |
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「日本語起源論争第6弾 大野晋教授はハダカの王様だ」 『週刊文春』24-6、140-142頁 1982年2月11日 (談話) |
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「特別座談 大陸文化と古代韓国」 『アジア公論』(韓国国際文化協会)11-2、34-51頁 1982年2月5日 (金芳漢、秋聖七との座談会) |
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「日本のプレゼンス」 『適応力 新しい日本人の条件』(日本文化会議編、三修社)123-146頁 1982年1月15日 (講演筆記) |
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「日本建国前のアジア情勢」 『いま、ふたたび日本を視る 文化講演会記録集No.6』(横浜市教育文化センター) 1981年3月31日 (講演筆記) |
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「タカとハト――言葉と現実のあいだ――」 『諸君!』13-2、42-55頁 1981年2月1日 (対談) |
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"Plurality of cultures and modernization." Annual Report, In Search of the Ideal Form of International Cooperation, The Series of Symposia, Tokyo Colloquium, 1980, pp.51-64. 1980年 (討論筆記) |
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「文化の多様性と近代化」 『東京会議報告書X 国際協力の理想を求めて――80年代への期待 シンポジウム』(東京会議事務局)43-57頁 1980年12月 (討論筆記) |
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"Plurality of cultures and modernization." The Daily Yomiuri, July 2-8, 1980. 1980年7月2日 (討論筆記) |
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「東京会議 国際協力の理想を求めて 文化の多様性と近代化」 『読売新聞』昭和55年7月2日号、12-13頁 (討論筆記) |
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『西欧の正義 日本の正義』 日本文化会議編、三修社、1-313頁 1980年3月15日 (討論) |
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「日本共産党で何が起きているか」 『サンデー毎日』59-9、22-28頁 1980年3月2日 (談話) |
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「大阪財界人の日本の徴兵制検討が必要だという発言の波紋と解決策」 『日刊ゲンダイ』(講談社)1287 1980年2月19日 (談話) |
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「朴大統領暗殺の謎」 『週刊文春』1058、22-28頁 1979年11月8日 (談話) |
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『アジア文明の原像』(飯島茂編、日本放送出版協会)、1-295頁 1979年10月1日 (討論) |
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『国際誤解の構造』 日本文化会議編、PHP研究所、1-293頁 1979年9月25日 (討論) |
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「東アジアにおける日本人のイメージ」 『文化会議』123、32-39頁 1979年9月1日 (講演筆記) |
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「極東の軍事情勢と日本の安全保障」 『文化会議』122、2-14頁 1979年8月1日 (討論) |
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「フランス知識人とカミュ」 『文化会議』121、2-14頁 1979年7月1日 (討論) |
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「第3回オピニオン・リーダーとの懇談会」 『経済広報センター資料』、1-16頁 1979年4月11日 (討論) |
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「日本の都市と国土計画」 『文化と国土設計に関する調査』(日本文化会議)、95-111頁 1979年3月24日 (討論)
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「韓国人と日本人」 『文化会議』116、2-14頁 1979年2月1日 (討論) |
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「ドイツ人と日本人」 『文化会議』115、2-12頁 1979年1月1日 (討論) |
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「邪馬台国と倭国」 『東アジアの古代文化』(大和書房)16、2-21頁 1978年7月10日 (討論) |
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「アジアを論じて日本語論に至る」 『言語生活』(筑摩書房)322、2-14頁 1978年7月1日 (討論) |
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『法と暴力』 日本文化会議月例懇談会収録集106、1-27頁 1978年3月31日 (討論) |
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『インカ帝国とプレ・インカ文明』 日本文化会議月例懇談会収録集104、1-16頁 1978年1月31日 (討論) |
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『サーカスが来たころ――アメリカの「鍍金時代」文化について』 日本文化会議月例懇談会収録集98、1-21頁 1977年8月 |
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「歴史から見た女性」 『女性のすべて』(会田雄次編、高木書房)、13-90頁 1977年4月7日 (討論)
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『国際関係における政治と経済――自由貿易体制の将来と日本の生き方――』 日本文化会議月例懇談会収録集93、1-36頁 1977年3月 |
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「シンポジウム 日本の経済外交 変る世界と南北問題(上)」 『自由』18-7、161-178頁 1976年7月1日 (討論)
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「シンポジウム 日本の経済外交 世界のなかの日本経済」 『自由』18-6、149-180頁 1976年6月1日 (討論)
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「シンポジウム 日本の経済外交」 『自由』(自由社)18-4、48-77頁 1976年4月1日 (討論)
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「天下大動乱の底流をさぐる」 『諸君!』6-8、50-65頁 1974年8月1日 (座談会) |
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「特集 未来への出発 第三部 日本はどこへ行くのか」 『諸君!』6-1、54-79頁 1974年1月1日 (座談会) |
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