『モンゴル帝国の興亡』あとがき
今から九年前、私は『世界史の誕生』(筑摩書房、一九九二年五月)を書き、今年、『歴史とはなにか』(文春新書、二〇〇一年二月)を書いた。十三世紀にはじまるモンゴル帝国の運命は、この二書の論旨の中心を成すものだが、紙数の関係もあって、モンゴルには比較的軽くしか触れていない。それでも『世界史の誕生』の第6章「モンゴル帝国は世界を創る」は、この問題の専論であり、『歴史とはなにか』の第三部「現代史のとらえかた」の「古代史のなかの区切り」の部分にも、この問題への言及がある。
たまたま筑摩書房から、一般の読者向けのモンゴル史を新たに書いてはどうか、という話があったので、それに乗ってできたのが、この『モンゴル帝国の興亡』である。
本書は、私がかつて執筆した三つの原稿の集成である。
ずいぶん前に、私は『北アジア史(新版)』(山川出版社、一九八一年)の一部として、「第四章 モンゴルの統一」「第五章 モンゴルの分裂」を書いた。これは、八三九年に崩壊したウイグル帝国から、一七七一年にトルグート部族がウバシ・ハーンに率いられてヴォルガ河畔を離れ、イリに達して清朝の保護を受けるまでの、九百三十二年間の北アジアの歴史を叙述したものである。これは、まとまったモンゴル人の歴史としては、簡にして要を得ており、その意味で今でも価値が高い。ただ紙数に制限があり、説いて詳しくない恨みがあった。それでも、キルギズ人、タタル人、沙陀人(後唐、後晋、後漢、北漢)、契丹人(遼)、女直人(金)、ケレイト人の活躍を語る部分の記述は、他に説いたものがなく、今でも貴重である。
なお拙著『康煕帝の手紙』(一九七九年、中公新書)は、モンゴル史を清朝側から詳説したものだが、その一部は、『北アジア史(新版)』の「第五章 第三節 清代のモンゴル」に採用してある。
しかし『北アジア史(新版)』は発刊以来、二十年を経過し、内容も大分古くなった。それで、山川出版社は新たに『中央ユーラシア史』(二〇〇〇年十月)を出し、『新版』シリーズを廃することにした。そうすると、私の書いたモンゴル史が、人目に触れなくなる。それでは困る。それで、本書に、『北アジア史(新版)』の私の担当部分をおおむね採録した。ただし最初のキルギズ、タタル、沙陀、契丹、女直、ケレイトに関する部分は、モンゴル帝国には直接関係がないので、本書ではこれを省き、ただモンゴル部族の祖先に関する部分だけを採用した。
その代わり、『クローズアップ 中国五千年 第5巻 東アジアの盟主から世界帝国へ 宋・大モンゴル』(世界文化社、一九九七年)の一部として執筆した「第2章 中原に覇を唱えた諸王朝の栄枯盛衰 大モンゴル 北アジアの遊牧民族を統一し草原の勇者から世界の覇者へと変貌を遂げた歴代ハーンの治世」から、チンギス・ハーンの部分を取って補った。
さらに、拙著『チンギス・ハーン』(朝日文庫、一九九四年)から、「【五】チンギス・ハーンの子孫たち」「【六】モンゴル高原のハーンたち」の二章を取り、その叙述を右の二つの原稿と併せて、単一の歴史とした。この部分は、その他の史料によって定めた絶対年代をのぞいて、モンゴル文の年代記に拠った文章が多く、草原の気分が溢れていて、その意味でも貴重である。
そうして最後に、清末、十八世紀の盟・旗の一覧表と、一九一一年のボクダ・ハーンのモンゴル独立、一九二四年のモンゴル人民共和国の成立、一九九二年のモンゴル国の新憲法の成立の叙述を、簡単に付け加えた。
これをもって、一一九四年にテムジンが金帝国の百人隊長に任ぜられてから、およそ八百年間に及ぶ『モンゴル帝国の興亡』は終わる。
叙述し終わって思うことは、世界の歴史に果たした、モンゴルという遊牧民の役割が、いかに大きかったかである。モンゴル人は、十二世紀の終わりにケンテイ山脈の東麓から、突然姿を現して、十三世紀に当時のほとんど全世界に広がり、その大部分を支配する巨大帝国を打ち立てた。その影響は二十一世紀初めの今日、意識するとせざるとにかかわらず、世界のあらゆる部分に歴然と残っている。実にモンゴルは、世界を創ったのである。
二〇〇一年九月
岡 田 英 弘