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岡田英弘・宮脇淳子共著で、月刊『ぺるそーな』に5年3ヶ月連載しました。2009年4月号で、雑誌が終わりました。
『ぺるそーな』のメンバーは、シアター・テレビジョンに移動して、ケーブルテレビ上で活躍を続けています。宮脇淳子「世界史はモンゴル帝国から始まった」が、スカパー!262チャンネルで放映中です。
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過去一年間のすべての記事は、『ぺるそーな』のホームページから読むことができます。
過去のものもいくつか、pdfファイルとして、ここからも読むことができるように設定しました。
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63 |
「私たち日本人は?」 ぺるそーな 2009年4月号 66-69頁 (通巻100号) |
62 |
「李氏朝鮮・妓生の歴史」 ぺるそーな 2009年3月号 70-73頁 |
61 |
「朝鮮半島の歴史(続)」 ぺるそーな 2009年2月号 62-65頁 |
60 |
「朝鮮半島の歴史」 ぺるそーな 2009年1月号 66-69頁 |
59 |
「韓国のテレビドラマ」 ぺるそーな 2008年12月号 66-69頁 |
58 |
「子弟書の面白さ」 ぺるそーな 2008年11月号 58-61頁 |
57 |
「モンゴル史学者・杉山正明氏への反論」 ぺるそーな 2008年10月号 66-69頁 |
56 |
「モンゴル史学者・磯野富士子さんのこと」 ぺるそーな 2008年9月号 66-69頁 |
55 |
「『日本史の誕生』 ぺるそーな 2008年8月号 68-71頁 |
54 |
「『厄介な隣人、中国人』 ぺるそーな 2008年7月号 64-67頁 |
53 |
「聖火リレー騒動」 ぺるそーな 2008年6月号 68-71頁 |
52 |
「チベット人と中国人の違い」 ぺるそーな 2008年5月号 66-69頁 |
51 |
「清朝史の研究」 ぺるそーな 2008年4月号 66-69頁 |
50 |
「『満文老档』とは何か?」 ぺるそーな 2008年3月号 70-73頁 |
49 |
「岡田英弘のこと」 ぺるそーな 2008年2月号 72-75頁 |
48 |
「カザンにて」 ぺるそーな 2008年1月号 72-75頁 |
47 |
「女は自分の財産を持っていた」 ぺるそーな 2007年12月号 72-75頁 |
46 |
「モンゴルにおける朝青龍のこと」 ぺるそーな 2007年11月号 72-75頁 |
45 |
「続々・日本とモンゴルの文化の違い」 ぺるそーな 2007年10月号 78-81頁 |
44 |
「続・日本とモンゴルの文化の違い」 ぺるそーな 2007年9月号 74-77頁 |
43 |
「日本とモンゴルの文化の違い」 ぺるそーな 2007年8月号 72-75頁 |
42 |
「日本映画「蒼き狼」をモンゴル人はこのように見た」 ぺるそーな 2007年7月号 70-73頁 |
41 |
「現代史の見方」 ぺるそーな 2007年6月号 70-73頁 |
40 |
「中央ユーラシアの草原の道と遊牧騎馬民」 ぺるそーな 2007年5月号 72-75頁 |
39 |
「日本の誕生から近代まで」 ぺるそーな 2007年4月号 72-75頁 |
38 |
「中国文明の歴史観」 ぺるそーな 2007年3月号 74-77頁
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37 |
「地中海文明の歴史観――アジアの誕生」 ぺるそーな 2007年2月号 78-81頁 |
36 |
「国民国家の誕生と歴史の定義」 ぺるそーな 2007年1月号 74-77頁 |
35 |
「満洲を支配していた張作霖の地盤は、実はモンゴル人の領土だった」 ぺるそーな 2006年12月号 66-69頁 |
34 |
「中国人の言う「歴史認識」とは「政治」以外の何ものでもないのを日本人は知るべきだ」 ぺるそーな 2006年11月号 72-75頁 |
33 |
「日本の歴史学界は、「国史」と「西洋史」と「東洋史」の三つの歴史に分れていた」 ぺるそーな 2006年10月号 70-73頁 |
32 |
「井上靖の『蒼き狼』は歴史小説であるか、単なる英雄物語、どちらか?」 ぺるそーな 2006年9月号 72-75頁 |
31 |
「『韃靼疾風録』の中で司馬遼太郎氏は満洲人のことを韃靼人といった」 ぺるそーな 2006年8月号 72-75頁 |
30 |
「浅田次郎氏著『蒼穹の昴』は西太后時代の清朝を舞台にした長編傑作小説」 ぺるそーな 2006年7月号 78-81頁 |
29 |
「満洲人が書いた『異域録』にはヴォルガ河畔のトルグート族の遊牧地がこのように描かれている」 ぺるそーな 2006年6月号 74-77頁 |
28 |
「どのようにして全モンゴルの帰順という偉業が清の乾隆帝に成しとげられたのか」 ぺるそーな 2006年5月号 70-73頁 |
27 |
「「最後の遊牧帝国」といわれるジューンガルが清の乾隆帝により滅亡させられた」 ぺるそーな 2006年4月号 80-83頁 |
26 |
「北京で留守居をする皇太子に、遠征先から康煕帝は満洲語の手紙をたびたび書いている」 ぺるそーな 2006年3月号 80-83頁 |
25 |
「康煕帝が清の大軍を率いてゴビの沙漠を越え、ガルダン軍を壊滅したジョーン・モドの戦い」 ぺるそーな 2006年2月号 78-81頁 |
24 |
「「内モンゴル」と「外モンゴル」がわかれたのはいつ? また「モンゴル人民共和国」とは何か?」 ぺるそーな 2006年1月号 54-57頁 |
23 |
「康煕帝の親政がはじまってから黒龍江をめぐってロシアと清国の間で外交交渉が始まった」 ぺるそーな 2005年12月号 70-73頁 |
22 |
「コサックがシベリアに町を建設した17世紀初頭、モンゴル人の祖先とロシア人の関係ができた」 ぺるそーな 2005年11月号 80-83頁 |
21 |
「『元朝秘史』に出てくる「蒼色的狼」は「蒼き狼」ではなく「斑の狼」が正しかった」 ぺるそーな 2005年10月号 74-77頁 |
20 |
「モンゴル語はロシア語でタタール、わが祖先はタタール、これがロシア貴族の誇り、ボリス・ゴドゥノフもそうだった」 ぺるそーな 2005年9月号 70-73頁 |
19 |
「モンゴル帝国の継承国家がロシア帝国の出発点、イヴァン雷帝にもモンゴルの血が流れていた」 ぺるそーな 2005年8月号 74-77頁 |
18 |
「アレクサンドル大公はモンゴル人に恭順の意は示すが、ヨーロッパとは戦った」 ぺるそーな 2005年7月号 80-83頁 |
17 |
「モンゴル帝国二代目君主オゴデイ・ハーンのヨーロッパ遠征で全ロシアが征服された」 ぺるそーな 2005年6月号 76-79頁 |
16 |
「清の太宗ホンタイジの皇后五人はモンゴル人、清の中国支配はこうして始まった」 ぺるそーな 2005年5月号 76-79頁 |
15 |
「17世紀のモンゴル年代記『蒙古源流』は、ハーンとラマの会見をこんな風に書く」 ぺるそーな 2005年4月号 74-77頁 |
14 |
「アルタン・ハーンは67歳でチベットを討ち、そのときラマの説法をはじめて聞いた」 ぺるそーな 2005年3月号 70-73頁 |
13 |
「息子を謀殺されてダヤン・ハーンは怒った。 モンゴルの運命を決した1510年の大戦争」 ぺるそーな 2005年2月号 74-77頁 |
12 |
「娘が嫁に行ってできた娘、つまり孫娘の美しさに参り「第三夫人」に迎えたアルタン・ハーンの物語」 ぺるそーな 2005年1月号 70-73頁 |
11 |
「食文化までモンゴルに征服された。油っぽくなったのはそれからだ」 ぺるそーな 2004年12月号 76-79頁 |
10 |
「もしオゴデイ・ハーンが死ななかったら、モンゴル軍の精鋭は大西洋にまで達していた」 ぺるそーな 2004年11月号 58-60頁 |
9 |
「「成吉思汗は源義経なり」という珍説を最初に書いた男、末松謙澄について」 ぺるそーな 2004年10月号 76-79頁 |
8 |
「フビライの日本征討計画は二度(文永・弘安の役)だけではなかった」 ぺるそーな 2004年9月号 84-87頁 |
7 |
「モンゴルが済州島を直轄領として馬の放牧地にしたのは日本征伐の準備だった」 ぺるそーな 2004年8月号 76-79頁 |
6 |
「「山の老人」はハシーシュという麻薬を使って暗殺者を育てた」 ぺるそーな 2004年7月号 78-81頁 |
5 |
「1219年チンギス・ハーンの中央アジア遠征が始まった」 ぺるそーな 2004年6月号 74-77頁 |
4 |
「大ハーンになったフビライは「大都」(今の北京)をつくった」 ぺるそーな 2004年5月号 70-73頁 |
3 |
「草原の大会議で世界征服計画が議決される」 ぺるそーな 2004年4月号 58-61頁 |
2 |
「次のハーンは誰であるか、クリルタイで決まる」 ぺるそーな 2004年3月号 76-79頁 |
1 |
「歴史のページ 世界史はモンゴル帝国からはじまった」 ぺるそーな 2004年2月号 64-65頁 (通巻37号) |