『世界史の誕生』あとがき

 歴史は文化である。歴史は単なる過去の記録ではない。
 歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。人間の営みさえあれば、それがそのまま歴史になる、といったようなものではない。
 地球上に生まれたどの文明のなかにも、歴史という文化があったわけではなかった。歴史は、地中海文明では紀元前五世紀に、中国文明では紀元前一○○年頃に、それぞれ独立に誕生した。それ以外の文明には、歴史という文化がもともとないか、あってもこの二つの文明の歴史文化から派生した借り物の歴史である。
 歴史という文化を創り出したのは、二人の天才である。地中海世界では、ギリシア語で『ヒストリアイ』を書いたヘーロドトスであり、中国文明では、漢文で『史記』を書いた司馬遷である。この二人が最初の歴史を書くまでは、ギリシア語の「ヒストリア」(英語のヒストリーの語源)にも、漢字の「史」にも、いまのわれわれが考える「歴史」という意味はなかった。「歴史」という観念そのものがなかったのだから当然だ。
 しかし、同じ歴史とはいっても、ヘーロドトスが創り出した地中海型の歴史では、大きな国が弱小になり、小さな国が強大になる、定めなき運命の変転を記述するのが歴史だということになっている。世界で最初の歴史が、ペルシアというアジアの大国に、統一国家ですらない弱小のギリシア人が勝利する物語であったために、アジアに対するヨーロッパの勝利が歴史の宿命である、という歴史観が確立してしまった。これに、キリスト教の「ヨハネの黙示録」の善悪対決の世界観が重なって、アジアを悪玉、ヨーロッパを善玉とする対決の歴史観が、現代の西ヨーロッパ文明にまで影響を及ぼしている。
 これに対して、司馬遷の『史記』は、皇帝という制度の歴史であって、皇帝の権力の起源と、その権力が現在の皇帝に受け継がれた由来を語るものである。皇帝が「天下」(世界)を統治する権限は、「天命」(最高神の命令)によって与えられたものだ、ということになっていて、この天命が伝わる順序が「正統」と呼ばれる。天命の正統に変化があっては、皇帝の権力は維持できないから、中国型の歴史では、現実の世界にどんな大きな変化があっても、なるべく無視して記述しないことになる。
 このように、同じ歴史とはいっても、地中海文明では変化を主題とする対決の歴史観が、中国文明では変化を認めない正統の歴史観が、それぞれ独自に書きつがれてきて、今日のわれわれの歴史観、しいては世界観にまで大きな影響を与えている。
 本書で書きたかった主題の半分は、以上のことである。
 あとの半分は、単なる西洋史と東洋史の合体ではない、本当の意味での世界史の可能性をさぐるため、中央ユーラシア世界を中心とした世界史を叙述することであった。
 中央ユーラシア草原の道は、すでにヘーロドトスの時代に遊牧民の移動路として知られていたし、『史記』の中にも、モンゴル高原最初の遊牧帝国「匈奴」の存在が記される。この中央ユーラシア世界の草原の民の活動が、東は中国世界、西は地中海世界そしてヨーロッパ世界の歴史を動かす力となった。そして、十三世紀に、モンゴル帝国が草原の道に秩序をうち立てて、ユーラシア大陸の東西の交流を活溌にしたので、ここに一つの世界史が始まったのである。
 十三世紀のモンゴル帝国の建国が、世界史の始まりだというのには、四つの意味がある。
 第一に、モンゴル帝国は、東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人々を一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したことである。
 第二に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破算になり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々が分かれた。それがもとになって、中国やロシアをはじめ、現代のアジアと東ヨーロッパの諸国が生まれてきたことである。
 第三に、北シナで誕生していた資本主義経済が、草原の道を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパ世界へと広がって、現代の幕を開けたことである。
 第四に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占してしまった。このため、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から、海洋帝国へと変わっていったことである。
 十三世紀からあとの歴史は、それまでのように、地中海・西ヨーロッパ世界の歴史と、中国世界の歴史とを、それぞれ別々に叙述することは、もうできない。モンゴル帝国が、一方で起こった事件が、ただちに他方に影響を及ぼすような世界を創り出したのだから、どうしても一本の世界史として書かなければならない。つまり、世界史は、モンゴル帝国から始まったのである。
 一九九二年に、ちくまライブラリーの一書として本書が世に出てから、私のこのような論拠は各方面に影響を与え、とくに文筆を専門とする同業者からの支持を受けたのは、たいへん嬉しいことであった。幸い、ちくまライブラリーとしても版を重ねたが、今回、文庫化にあたっては、さらに多くの読者に恵まれると思い、見慣れない漢字にルビを多くふることを心がけた。
 
  一九九九年七月  
岡 田 英 弘